プロフィール

ハハ

サイトをご覧いただき、ありがとうございます。管理人のこれまでをさらしますが、自分のことを人に伝えるのって難しい!共感ポイントがあれば嬉しいです。
管理人の❝今❞
  • 28歳
  • 全国転勤族の妻(福岡→沖縄)
  • 男ばかり3人の母
  • ワーママ歴6年/専業主婦歴2年
  • 好き:チョコレート・旅行・落ち着いて食べられるご飯の時間
  • 苦手:生魚・船(船酔い)・寝かしつけの時間

小学生のころから夢は保育士

●1990年生まれ。

●4人兄弟でもいとこでも一番上、常に年下の子の面倒を見ていたからか小学生の頃から夢は保育士でした。

●両親は3歳の時に離婚し、1歳の妹と父親側に引き取られるが祖父母に育てられ、まもなくして再婚するも継母からの虐待が始まりました。

●高校入学後はアルバイトを始めたことをきっかけに家に帰るのが遅くなり…、少なくなり…、最終的に家を出て祖父母宅で暮らし始めます。多少荒れたこともあったが、荒れきらなかったのは祖父母と叔母のおかげです。

●離婚から始まる様々な経験から「海外行きたい」「恵まれない子供たちの支援がしたい」と思うようになり、国連職員だとか青年海外協力隊だとか視野に入れながら、最終的に「施設の保育士になりたい」と保育士資格が最短で取得できる短大へ入学することに・・・。

 

短大在学中の出産、結婚

●短大入学後、バイトバイトバイト・・・。2~3のバイトを掛け持ちし、寝る時間も削って稼いだお金を遊びに使う日々(ホント、この時にしっかり貯金するべきだった!)。登校もままならなくなり、単位を落とすことも出てきました。

●「自由」が増えてたかが外れたようにいろいろだらしなくしていたところ、短大2年生(夫は4年大学の2年生)の時妊娠が発覚。

●継母、夫側は祖母や叔母など親族そろって全面反対、代わる代わる何度も堕ろすように言われました。私に堕ろす選択肢はないため、当時学生の夫に別れを伝えるも、夫が私の意思を尊重してくれたかたちで結婚しました。継母へは、条件付きで結婚・出産を認めてもらい、出産してからは孫を可愛がってくれています。

・学校は卒業すること

・学費は自分で払うこと(私は既に短大2年で、祖父母が支払ってくれていた)

・夫の親への仕送り(毎月2万円)を、入学前の約束通り卒業まで続けること

・経済的な援助はしない

夫側は、反対を押し切り結婚することについて、夫が母子家庭のなか独学で国立大に進学していたこともあり、「妊娠・結婚が理由で退学することは絶対に認めないが、妊娠・結婚も自己責任なので支援はしない」というものでした。夫が奨学金などで自分で払っていた学費を今後も自分で払うことはもちろん、月2万の仕送りも約束通り卒業まで継続するようにと言われ、承知しました。

●長い目で見て、資格取得したり国立大なら卒業した方が生活も安定するだろうということで、私も夫も最初から学校を中退するという選択肢はなかったのが、今となっては良かったのか・・・?

●長男の出産後、産後3ヶ月で保育園に入園できたのが救いでした。夫が日中は学校・夜バイト・23時頃帰宅で夜泣き対応、私が日中は学校と保育園の呼び出し対応・夕方から育児・23時過ぎから翌朝までアルバイトという、学業と育児とあるバイトの日々がスタート。

●短大卒業間近の時、実習先だった施設に声をかけてもらいそのまま就職させてもらえることに・・・。家族環境も全て理解してくれたうえで採用してもらい、当時の施設長にはホント感謝しかありません><

 

短大卒業後、夫婦で社会人になるまで

●夫と子を扶養に入れて働き始めたとき、夫はまだまだ大学3年生。子供の送り迎えや夕飯など、平日の育児の大半は夫が担ってくれました。子供は当然父親になつき、私が髪を切っただけで誰か分からず大泣きされ私も大泣きしたのは今となっては笑い話。(笑)

●子供との時間が少ないことによる私の精神状態と、夫の就活や卒論作成で学校生活が多忙になったこともあり、時短勤務で働くことを選択する。結果的にこの選択は正解でした。

●夫の就活で、全国転勤族になる今の会社にするかどうか迷い話し合った結果、就職することに。大きなターニングポイントでした!

●夫、大学卒業!やっとヤットYATTO夫婦で社会人。夫が社会人1年目の時に念願の結婚式、2年目で第2子出産(産休・育休取得と復帰)し、3年目で初めての転勤で沖縄へ・・・。

 

初めての転勤・・・沖縄生活のはじまり

●夫:「転勤地は沖縄になったよ」、私:「やった~」と喜んでいたところ大変大変。初めての転勤で、しかも子連れの転勤—――事前にこれは調べておくべきだったと思うことがたくさん見つかった転勤1年目。

食文化・歴史的背景によるものまで!沖縄のマメ知識情報

●沖縄生活の目標は赴任中に沖縄の離島をより多く回ること!いずれ単身赴任することになるだろうと考え、『貯金<家族の思い出』を優先しようってことで旅行の支出は半端ないことになりました。

●私の仕事について働くか迷っていましたが、前職の退職金と失業保険を受給していたこともあり、夫の扶養に入れないことが判明。パートでは社保や子供の保育料などで収支が変わらなくなるため、フルタイムで求職することにしました。転勤3か月後、正社員の保育士として働き始めました。

実録!「転勤族の妻」で保育士として「正社員」で働き転職した話

『転勤族の妻で正社員で働くということ』のハードルとメリット

●ほどなくして妊娠し、切迫早産による傷病休暇を経て里帰り出産はせずに沖縄で出産しました。

転勤族の子供は何人がいい?我が家が子供3人産んで感じたハードル

実録!転勤族の我が家が子供3人目を産むと決めてから出産するまで

●産後、退職。専業主婦生活の始まり・・・もどかしい、働きたい、ブログしよう!てな感じで今に至ります。

 

ブログを立ち上げたきっかけ

転勤族の人、これからなるかもしれない人へ役立つ情報を共有したい

転勤族になった時にネットで子供のことや転勤妻の働き方を調べていたけど、なかなか分かりやすい記事が見当たらず・・・。

ハハ

子供は欲しいけど、周りに知り合いもいない中で子育てをやっていけるだろうか。

ハハ

転勤後も働きたいけど、転勤族でも雇ってくれるのかな。

ハハ

保育園や小学校などの教育環境や医療環境はどうなんだろう。

というような不安をほぼ消化できないままでした。

そこで、①実際に転勤して想像とは違っていたこと②転勤前に知りたかった転勤地の情報③転勤妻の働き方を記事にしていく予定。

 

若くして母親になった人、身近に頼れる人がいない人

私がそうだったように協力してもらえる人が身近にいない若い人は特に、役所よりネットの情報が一番身近な情報源になると思います。

ハハ

育児が大変だけど頼れる人がいない。どこに相談したらいいのだろう。

ハハ

経済的に生活が苦しい。少しでも余裕ができるために、自分でできる事は何だろう。

ハハ

学生だが妊娠が分かった。退学するか卒業するかどうしよう。

というような、当時私が直面した問題をどのように解決したか②元保育士としての目線も交えながら福祉サービスや国の制度を記事にしていく予定。

 

ハハ

一番は、このブログで「私もまだまだやれるわ!」と活力になれる人がでてこれるよう、頑張して更新していきます。ぜひ、定期的にチェックしてみてください^^